第8章

トップへ戻る (M)=モノローグ(心の中で思っていることか独り言)
●シーン0125年前・欧州宇宙機関(ESA)の研究室
1人、何かのデータを真剣な表情で見つめている天文学者アダム・スコット。
太陽系の諸惑星や、小惑星の軌道の計算結果を示す光点が示された画像を覗き込み、顔をしかめる。
ほかの色んなデータと見比べたり、コンピュータの画面を見たりして、焦った顔で色々考え込む。
スコット「これは……」
いろいろ見ているデータの中に小惑星の画像があり、"Alfono" と書かれている。


(T)サブタイトル『プレリュード』


●シーン02ESA・スコットの上司の部屋
スコット(M)『今から25年ほど前のことだ。私は欧州宇宙機関で、太陽系の天体の観測と軌道の確定作業に携わっていた』
スコット「本当なんです。軌道が交差する確率が高いんです」
上司「君の計算だろう? ほかに誰も言ってない。うちのスパコンの予想とも違う」
スコット「1周先のことなんで、見落としている要素があるんですよ!」
上司「交差の確率が五分五分なんて博打と変わらない、誰も納得しないよ」
スコット「お言葉ですが、天文の世界で五割というのは相当な高確率ですよ」
上司「それも30年後の話ときてはね。そんな先のことで大騒ぎして、外れましたじゃ笑い話にもならん」
スコット「ほんの30年後なんですよ」
上司「『アルマゲドン』とか『ディープ・インパクト』だと、直前に破壊してるじゃないか。
ガンダムなんかモビルスーツで押し上げてるぞ?」
スコット「あんなの嘘っぱちです。衝突の何年、何十年も前に軌道を変更しなければ間に合いません」
上司「とにかくだ、もう少し確率が高まったら言ってくれ。それまでは、むやみに言いふらすんじゃないぞ」
その後も予測に揺るぎがなく、上司を追いかけたり、直談判などして訴えるスコット。
上司「確率としては変わってないんだろう? それじゃ確かになったとは言えないじゃないか」
スコット「時間が経って再検証しても結果が変わらないのは、確率が高まったことと同じことですよ」
上司「いいか、宇宙開発は公共事業なんだ。そんな曖昧な話で予算が下りるか。もう吹聴するな」


●シーン03フランス・パリのレストランか酒場
沈んだ表情で酒を飲んでいるスコット。その目の前でグラス酒を飲み干す中年の男。
「外交官の赴任先での仕事ってのは、要するにスパイと営業職の合わせ技みたいなものだよ。
相手の国の要人から情報を得て、味方につくように、なだめたりすかしたり……そのためには何でもやる」
スコット(M)『長年の友人のフランソワ・ベルナール。
彼は当時、フランス政府の外交官を務め、国連大使などを歴任していた』
スコットの表情を見て気分を察するベルナール。
ベルナール「どうした? 久しぶりに会ったのに浮かないな」
スコット「ちょっとね」
ベルナール「愚痴なら聞くぞ。HAHAHAHA」
スコット「まあ、学者も組織の一員ってことが身に染みているというか」
ベルナール「?」
逡巡した末、話し出すスコット。書類やタブレットを見せながら、少々やけ気味に説明する。
スコット(M)『私は彼に説明した。小惑星 "アロフォノ" が、次の近日点通過後、地球と衝突する可能性が高いこと。
私は何度も、見落としている要素や計算違いがないか検証したが、ほぼ五分五分の確率に変化はなかったこと……』
少しポカーンとした表情で話を聞いているベルナール。
ベルナール「うーん……地球の危機……というのか? そんな映画みたいなことが本当に起こるのか?」
スコット「信じられないか?」
ベルナール「そうは言わないが、天文の話には門外漢だからな。周りの学者たちも取り合わないのだろう?」
スコット「ここまで頭が固いとは思わなかった……みんな、都合の悪いものは見えないんだよ」
ベルナール「厳密な科学の話なら、計算の結果で説得できないのか?」
スコット「したさ! でも私と見立てが違うんだ。ほかの科学者は、まず地質の見立てが違う。
だから質量の推算が間違ってる。もっと重い。さらに影響を与える重力源を見落としてる。
アステロイドベルトの一群が、永年共鳴でアロフォノと引き合って……」
ベルナール「待て待て、専門的なことを言われてもわからないよ。
だが、万人を説得するには材料が足りないという、お前の上司の言うことは一理あると思う」
スコット「君までそういうのか」
ベルナール「すまん、だがお前の人柄は信じているし、真剣なのは見ればわかる。
とにかく結論として、それが地球にぶつかって大災害が起きるという話だな?」
スコット「大災害じゃ済まない。地球環境の歴史がリセットされる、神話レベルのカタストロフだ」
ベルナール「現実になったら、我々はどうなる?」
スコット「チクシュルブ・クレーターって知ってるか?」
ベルナール「いや……」
スコット「メキシコのユカタン半島沖にあるクレーターだ。6500〜6600万年前に小惑星の衝突でできたと考えられていて、
衰退していた恐竜が絶滅する、最後の一撃を見舞った隕石だ。このクレーターを形成した天体は、直径が10kmほどだった。
アロフォノは、それと同じくらいの大きさだな」
ベルナール「それで?」
スコット「この時は半島の端っこ、海との境目あたりに落下したと考えられているが、
落下地点一帯は海水と地盤の一部が気化して爆発した。周辺は火球に呑まれ、二重の大津波が発生して、
地球の裏側まで届いたと考えられている。その後数千度もあるテクタイトの雨が火山弾みたいに地球全土に降って、
地表は灼熱で焼かれた。メギドの火どころじゃない」
ベルナール「……」
スコット「衝撃が収まった後も、粉塵が大気中に滞留して、いわゆる "核の冬" が訪れたという説が有力だ。
見た方が早いだろう。上司に見せるために用意した動画だが、これを見ろ」
iPadか何かで、衝突のシミュレーション映像を見せるスコット。
スコット「質問は、我々がどうなるかということだったな。
人類はほぼ絶滅だよ。わずかに生き残る人も、文明基盤は破壊されて、有史以前からやり直すことになるだろうな。
爆心地側の半球では、冷戦時代に売ってた家庭用核シェルターに隠れたても無駄だぞ。
NORADがあったシャイアンみたいな大規模施設ならともかく、即席のシェルターなんかふっとばされるか、
耐えても爆風や津波で運ばれた土砂や、エアロゾルの堆積で埋もれて生き埋めになるだろうな」
スコットの語るカタストロフの様子。
ベルナール「みんな死ぬのか」
スコット「仮に、大規模なシェルターに万単位の人数を収容しても、すぐに物資とエネルギーが尽きる。
災害が収まって地上に出ても、大型動物の大半が死に絶えている。海に落ちれば海洋生物も絶滅寸前まで減るだろう。
土壌汚染と核の冬のせいで、地球全土で食糧生産ができない時代が何十年も続くだろう。
生き残った人類は食糧の奪い合いで争うだろうな。だいたい、避難する人はどうやって、誰が選ぶんだ?
権力者の都合だろ? だから衝突の前に争いが起こる。それで多くが死ぬだろうし、その後も結局ほとんどが死ぬ」
ベルナール「……」
スコット「だから、アロフォノの軌道をそらすしかないんだ。
そうすれば誰も死なないんだ。今から準備すれば何とか間に合うと思う。
もし予想が外れても、何事もなければそれでいいじゃないか。どうして誰もわからない?」
ベルナール「ええと、何をすればいいんだ? 破壊するのか?」
スコット「破壊しても、よほど粉々にして大気圏で燃え尽きるほど小さくしない限り、
ベクトルはあまり変わらないからそのまま破片が飛んでくる。結局当たる確立は大差ない。
それよりも、宇宙機をアロフォノに接近させて、強力なエンジンか爆発物で軌道を変更させるんだ。
核兵器のようなもので繰り返し。早いほどいい。最低でも衝突の10年前にはやらなきゃいけない」
考え込むベルナール。にわかには信じられないという表情。
ベルナール「……よし、じゃあお前の言う……その、何とかいう影響が出てきた時に、
もう一度話し合おう。それで状況に好転しなければ、力になるよ」


●シーン04パリ・ベルナールの自宅
帰宅を出迎えるベルナールの妻。
「エマが来てますよ」
ベルナール「おお、じゃあルネも来てるか!」
「ええ、おじいちゃんの帰りを待ってましたよ」
居間に飛んでいくベルナール。非常に若くしてできた孫を抱きかかえて、
すりすりくんかくんかHAHAHAと、爺馬鹿っぷり全開。
「きょうは久しぶりにアダムとお会いになっていたのでしょう、お元気でした?」
振り向くベルナール
ベルナール「……ああ、君にもよろしくと言っていたよ」
「話は弾みました?」
ベルナール「いつもみたいに……うん……
お互い仕事の愚痴を言い合ったり、馬鹿話をしたりして深酒してしまったよ」
孫の顔を見ていて、スコットの言葉が甦る。
スコット(回想)『質問は、我々がどうなるかということだったな。ほぼ絶滅だよ』
ポロン、ポロンと部屋の中に音色が響く
ベルナール「これは、何の音だ?」
「最近、アルパを始めたんですって」
ベルナール「アルパ?」
「スペインの方の弦楽器らしいですよ」
ベルナール「……美しいな」
「とても上手ね」と褒める妻
大人になったら、アルパの奏者になるという孫を見つめるベルナール。
考え込み、1人部屋を離れて携帯電話かウェラブル端末か何かで電話を掛ける。
相手は政府の要人か誰か、偉い人の様子で、かしこまりながら真剣に話をする。


●シーン0523年前・インドのとある地方
(一切セリフはなし)
ある下層階級の家庭。その家の娘が嫁に行くカット。見送る弟。
だがその後、姉は嫁ぎ先の家族に、ダウリー殺人のような差別的な理由で殺される。
少年の中で理性が切れ、彼は姉の嫁ぎ先の一家を皆殺しにする。
姉の旦那本人かその父親あたりの、あと1人を殺そうとする目前で少年は逮捕され、
一家はハイカーストの仕返しでひどい目にあうか、殺される。
死刑は免れるが、無期懲役刑となり、刑務所に入れられる少年。
数年が経ち、収容施設の中で育っていく少年。やがて成年用の刑務所に移される。
少年→青年は虐待を受けるが、持ち前の運動神経や冷静な機転をきかせるなどして、
必ず勝ち、ほかの囚人たちを抑え込み、看守から、一種腫れ物扱いされるようになっていく。
彼はやがて少しずつ道具や情報を手に入れ、着実に脱走の準備をし始める。


●シーン06フランス・また酒場かレストランなどの店内
スコットが待っている個室に入ってくるベルナール。
スコット(M)『2年後、私の予測は当たった。アロフォノの軌道は私の予想通りの影響を受けてわずかに変化した。
その後も上層部に何度も掛け合ったが、相変わらず取り合ってもらえなかった。
学者仲間も、皆本気にしなかった。誰も30年先のことに関心を払おうとしない。
いや、そうじゃない。誰も責任をとりたくないのだ。結局空騒ぎになった時のことが怖いのだ』
ベルナール「待たせたな」
スコット「私は色んな仕事から干されてしまったよ。あまりうるさく言うもんだからな」
ベルナール「アロフォノの件でか?」
うなずいて、データを見せるスコット。
ベルナール「相変わらず私にはよくわからないが、お前の言うとおり、事態が悪い方向に転んだんだな?」
スコット「ああ。実はESAのスパコンにこっそりつないで検証してみた。今のところ狂いは出てない」
ため息をつくベルナール。だが直後に、腹を決めたように顔を上げる。
ベルナール「お前がそこまでやるとはな……そうか。よくわかった。紹介したい男がいる」
小柄な、まだ若い青年が入ってきて挨拶する。
青年「どうも、トニー・カーンといいます」
スコット「?」
ベルナール「彼は宇宙建築だか軌道上建築っていうのか? そういう分野が専門の工学者だよ。
まだ若いが、スキップして博士課程を終えてる。ただ、ちょっと規格外っていうか……」
青年=カーン「はっきり言っていいですよ。変人過ぎて研究室にいられなくなったって」
スコット「彼に事情を話したのか?」
ベルナール「まあ聞いてくれ。お前の話じゃ、アロフォノの軌道を変更するには、
核兵器みたいな強力な爆弾を積んだロケットを沢山打ち上げなきゃいけないんだろう?」
スコット「ああ。少しでも多い方が良い。あるいは宇宙機の規模を大きくして、超特大のミサイルのようにするか。
それも結局何回もロケットを打ち上げて、軌道上で組み立てることになる。どっちにしろ何度も打ち上げが必要だ」
ベルナール「だが実際、1基打ち上げるのにも何百億ユーロもかかる」
スコット「わかっている。それも私が相手にしてもらえない理由の一つだ」
ベルナール「そこで妙案が浮かんだよ」
スコット「妙案?」
カーン「軌道エレベーターって知ってますか?」
は? という顔で首をかしげるスコット。
スコット「軌道エレベーター……ああ、SFに出てくる奴だな」
ベルナール「彼はその軌道エレベーターの総合建造プランの論文を書いたんだが、それを造る。
そして計画の隠れ簑にするんだ」
スコット「隠れ蓑?」
カーン「そうです。軌道エレベーターは色々便利な代物なんですよ。ほとんどコストゼロで宇宙へ行けて、
先っぽから投石器みたいに飛ばせる。これは例の計画の宇宙機を送り出すカタパルトに使えるでしょう?」
スコット「ちょっと待ってくれ、いくら便利でもSFの話だろう? そんなもの造れるのか?」
カーン「(ケロリとした表情で)出来ますよ」
スコット「……」
カーン「理論はもう十分成熟しているし、いくつかの技術的ハードルをクリアすれば可能です。
そのハードルも、集中して研究すればそう高い壁じゃない。あとは金と交渉次第。むしろ課題はそっちです」
スコット「本当に造れたとして……そうか、長さが4〜5万kmあれば末端が脱出速度を超えるから物を飛ばせるな。
それで、安上がりにアロフォノに宇宙機を送り込むというのか」
ベルナール「その通り。で、ほかにも使い道が色々あるらしい。
人工衛星をロケット代わりに軌道に乗せたり、回収して修理したり、宇宙ゴミってのも捕れるそうじゃないか。
軌道エレベーターを使って色々運ぶサービスを商売にできる」
カーン「そこで、そういう公共目的で軌道エレベーターを造る。
完成すれば、アロフォノの観測も、地球周回軌道上からもっと精密にできるはずです」
スコット「本当の目的は隠したままで?」
ベルナール「そう。で、本題だ。軌道エレベーターは放射性廃棄物を宇宙に捨てるのにも使えるというんだ。
そこで、ここからが本当の計画だ。廃棄物を運ぶ商売をして、
その中に紛れ込ませてアロフォノの軌道変更用の核を宇宙に運び、宇宙で迎撃態勢を整える」
スコット「危機を知らせないままでか? それでいいのか? 大衆を騙すのか?」
ベルナール「いいか、理想だけじゃ何もできないんだ。理想のない奴は無益だが、理想しかない奴はそれを通り越して有害だ。
計画の重要性を説いたって、ほとんどの人間は理解しないんだよ。お前は身を持って体験済みだろう?
結果が全てだ。軌道エレベーターは計画を巨大な利権に化けさせることができる。そうなれば、色んな奴が飛びついてくる。
人類の危機を説得して回るより、利権に巻き込む方が早い。公共事業ってのは、いったん決まれば後戻りできなくなる。
軌道エレベーターは隠れ蓑にうってつけだ。本当の目的は明らかにするさ。後戻りできなくなってからな」
複雑な表情のスコット。ケロリとしているカーン。
ベルナールいいか、私は、お前が学者人生を賭けてこの事態を何とかしたいと思っていると信じたから話に乗った。
だが今はそれだけじゃない、愛する人たちを死なせたくないからだ。そのためなら悪魔と契約でもするよ。
お前も覚悟を決めてくれ」
スコット「そうだな……わかった。こういうことは君に任せるのがいいかも知れない」
ベルナール「まあそう深刻な顔をするな。実際軌道エレベーターを造れたら、使い勝手がいいことは確かなんだ。
裏の目的の有無にかかわらず、意義のあることかも知れん」
スコット「でも、軌道エレベーターなんて本当にできるのか?」
カーン「あなた方の事情に干渉はしませんが、僕はぜひ、軌道エレベーターを造ってみたい。
それができるなら、あなたがたの目的に沿う、実現可能なものを設計してみせます」
肘をついて手を組むベルナール。
ベルナール「冬月、俺たちと一緒に軌道エレベーターを造らないか」
スコット「スコットだよ……実現可能性があるならなんでも構わないが……
それにしても、よくここまで本気になってくれたな」
ベルナール「孫が奏でるアルパの音を聴きたくてな」
スコット「アルパ?」
ニコニコした顔になるベルナール。
ベルナール「ま、私もまだまだ長生きしたいってことさ。
そうだ、軌道エレベーター1号塔の名前、"アルパ" はどうだろうな」


●シーン07インドの刑務所
日々色々観察したり、道具を調達したりして、密かに脱走計画を練っている青年。
同じ刑務所で、囚人仲間の人望を集めてる男がいる。
囚人たちの希望をとりまとめて組合か信仰集団のようにし、看守に談判して待遇改善を求めたり、
逆に刑務所側の要求を皆に納得させたり。
大仰な身ぶり手ぶりで話す男を、青年は加わらずに遠くから見ているだけの日々。
そんな中、ぼんやりと刑務所で日なたぼっこをしながら、スポーツか何かをしている囚人たちを見ている。 男が話しかけてくる。
「なあ、なあって」
男の方を向く青年。
「(ひそひそ声で)あんた、逃げようとしてるだろ?」
相手にしない青年。それでもしゃべり続ける男。
「誰にも言わないよ。ただ、俺にも一枚噛ませてくれないか」
無視。
「あんたの計画の問題点は、この収容所の中で、俺たちが知らない部分の構造だろ?
多分、あそこか、あのあたりから逃げようと考えてる。だが、その先がどなっているかわからない」
少し反応して、男を見る。
「ずっと観察してたからな。その部分の解決は、俺が引き受けてやる」
青年「お前、何の罪で収監されたんだ? この国の人間じゃないな」
「やっと話してくれたな、ガキの頃親に連れられてきたが、もう親は死んだ。よく覚えてない。
あとは身寄りがなくって、この国で落ちぶれたってところだ。罪状は詐欺。ただ、未必の故意の殺人付き。
金持ちの妻を籠絡して、金を巻き上げようとしたが、旦那に殺されちゃってね」
青年「……見たところ、囚人たちを統率して、ここの生活を満喫しているようだが」
「んなわけないだろう! 自分の福祉のために利用してるだけだ。
ほかの囚人たちの心理を利用して、満足度を下げてやる代わりに、
俺の要求を少し看守に呑んでもらってるだけさ」
青年「満足度を下げる?」
「鎖につながれた奴隷は、鎖のできを自慢するようになるって言うだろ?
全然いい生活じゃないのに、ちょっと変えてやれば待遇が良くなったと錯覚するんだよ。
何の自由も得られてないのにな。俺はその心理を利用して、所員に手柄を立てさせてやってるだけさ。
その見返りで、少しいい目にあわせてもらってる。でもさすがに釈放はしてくれない」
青年「……ほう」
少し興味を示す青年。
「とにかくさ、腹を割って話してくれるのは、俺の手際を見てくれてからでいい。
看守をたらし込んで、いつでも利用できるように誘導してやる。まあ見ててくれ」
数日後、図面のようなものを持ってくる男。
「ほら、これが図面だよ。ここが、こういう風につながっていて、外はこうなっているらしい。
配線はこう、水道はこうで、見回りのローテーションはこうで、つじつまは合うだろ?」
青年「…よく手に入れられたな」
「副所長や看守から聞いた話を総合して、俺が起こしたんだけどな。
あいつらはこの仕事でストレスがたまってるから、仲間同士で疑心暗鬼にさせてやった。
脱走計画を耳にしたって話して、やつらに脱走路の候補を考えさせたんだよ。
思案するってことは、脱走路を把握しなきゃならないってことだからね。あんたはこういう真似は苦手だろ。
もういいだろう? 手を貸すから、俺にも脱出路やあんたの道具を使わせてくれ。
目をそらすための花火を上げてやるからさ」
青年「花火って何だ?」
「囚人たちのデモを起こしてやる。刑務所の所長と副所長の確執を利用して、刑務所側も混乱させる。
両方の味方のふりをして、鎮圧の手柄をくれてやるとささやいてやるよ。
だから、ある程度まではデモに目をつぶってくれることになる。そのどさくさに紛れて逃げる」
やがて、実際にデモなり暴動が起き、懐柔役を買って出る男。青年にそれを手伝わせるという名目で、
2人に多少の自由ができる。しかしデモが大きくなり、どさくさに紛れて逃げる2人。
この辺の展開は、「青年は計画性と実行力、男は話術と心理掌握術を駆使して、脱走を果たす」ということであり、
詳細はどうでもいい。とにかく2人は息のあったコンビになり、うまく脱走を遂げる。


●シーン08夜・刑務所の外、夜、人気のないどこか
青年「世話になったな。ここで別れよう」
「俺も助かったよ。あんたはこれからどうするつもりだ?」
青年「ちょっとやり残したことがあってな。その後はそれから考える」
「計画好きのあんたが何も考えないってことはない。
考えてないんじゃなくて、どうでもいいんだろう?」
青年「……」
「(少し微笑んで))面白かったな」
青年「(微かに笑い返す)達者でな」


●シーン0920年前・フランスなど
相談をするスコットとベルナール、カーン。
スコット(M)『あの日から、フランソワは変わった。いずれは政界にもと期待されていた彼だったが、
政府を辞め、公の仕事には顔を一切出さなくなった。政財界の裏で彼お得意の根回しをしているようだった。
私たちは、小惑星アロフォノの軌道を変更する計画を"調律(アフィナシオン)"、
目的を知る者や協力者を "調律師(アフィナドル)" という符牒で表すようになっていった』
それぞれ研究や内密の交渉事などで奔走する3人それぞれの姿。
スコット(M)フランソワはマスコミを利用して、軌道エレベーターへの関心を少しずつ高めて行った。
そして、アルパの計画とそれを推進する国際コンソーシアムの設立を打ち上げた。
その時には、出資国の上層部への根回しは済んでいたらしい』
調律師たちに説明をするベルナール。
スコット(M)『彼は凄かった、裏からあらゆる手を回して、計画を遂行させた。
出資各国でアルパ計画に反対の論陣を張る政治家がいれば、多額の献金や票田などの餌をまいて転向させるか、
折れなければスキャンダルを掘り出して(でっちあげてたのかも知れないが)社会的に抹殺した。
貧困の救済に金を回せという人権団体や、環境保護や信仰などを理由に反対する勢力は、資金源を断ったり、
内部分裂を引き起こして弱体化させたりと、容赦の無い手段を選ばなかった。彼は一切躊躇しなかった。
私は観測と研究をつづけ、トニー・カーンは信じられないほどの処理能力で、軌道エレベーターの総合計画を立案。
我々は陰で少しずつシンパを増やしながら、それぞれの役割を果たし続けた』
観測を続けるスコット。計画策定にいそしむカーン。
飯森小夜子などのキーメンバーも増えていく。
スコット(M)『そうやって非情に徹してきたが、いくら集めても資金が次から次へと必要になった。
そして、私たちは "別荘" プランに手を付けざるを得なくなった。軌道エレベーターをもう一つ造り、
アロフォノの衝突をやりすごすシェルターとして、調律師たちにいわば分譲販売するのだ』
久々に3人で密会するスコット、ベルナール、カーン。
ベルナール「やれやれ、マフィアになって陰謀を進めてきたと思えば、
今度は不動産屋だ。息をつく暇もない」
スコット(M)『彼は別荘を "限定販売" にして、金持ち同士で値をつり上げさせた。しかも、見込みの数より多く売った』
カーン「何人くらいに別荘の話を持ちかけたんです?」
ベルナール「調律師には全員」
スコット「全員!? もう100人じゃきかないんだろう?」
ベルナール「これが、調律師に対する箝口令代わりになるんだよ。
みんな命が惜しいから、自分が助かるためにはアロフォノのことを秘密にする。
しかもオークションみたいに競って値をつり上げてくる」
カーン「(皮肉っぽい笑みを浮かべて)なるほど」
ベルナール「笑わせるよ。この話になるとみんな目の色を変える。立憲君主制の国の政治家どもなんか、
どいつもこいつも王族や皇族はそっちのけで自分たちの予約に血眼だ。滑稽きわまりない」
スコット「もし、計画が成功してアロフォノを回避できたら、
資金の返済や違約金の支払いを求められるかもしれないぞ。その頃に、払戻金なんて残っているのか」
カーン「踏み倒せばいいんですよ。請求したければやらせりゃいい。できるもんならね」
スコット「それは……」
ベルナール「その頃には、危機は過ぎている。だから、金を返せとゴネる奴がいれば、
別荘を買った人間のリストをぶちまけて、世間にさらし者にしてやる。批判は私たちよりそいつらへ向かう。
どのみち、アルパの目的は達成するならどうなってもいい」
スコット「……」
カーン「ところで、一番の悩みの種だった素材の件、何とかなりそうです」
スコット「本当か!」
炭素繊維の分子構造データなどを、履歴書のような個人情報と一緒に見せるすカーン。
カーン「サヨコ・イイモリ。ナノテク材料工学分野の専門家で、日本の産総研からスカウトしました。
炭素系素材をフラクタル構造で拡張する技術を提唱してます。で、日本の地方企業が開発した素材に目をつけて、
これを改良して彼女の理論を実現できそうです。素材が解決すれば、一気に実現に進めます」
ベルナール「よし、資金を集中して構わないからその会社を人員や特許ごと買い取れ。難航したら潰せ」
スコット「君は……悪魔のような男だな」
ベルナール「構わんさ。お前も今や同類だぞ。だがそれでいいんだ」
スコット「そうだな……」


●シーン10米国・ニューヨーク・国連本部の安全保障理事会
召集され、話し合いをする安保理。
スコット(M)『そして予想されていた最大の反発が来た。貧困国からの訴えだ。
複数の国が、アルパの倒壊による環境破壊や軍事利用の危険性、大国による独占の懸念などを理由に、
国連憲章の「平和の破壊」に相当するとして、計画中止を勧告するよう、国連安保理に決議案を提出した。
これが我々の天王山であることはわかっていた。ここを越えれば、アルパは国際社会で承認を得られる。
国連大使を務めたことのあるフランソワは、根回しを既に済ませていた』
議決を行う安保理理事国の大使たち。
スコット(M)『結果、中国を除く安保理常任理事国と、非常任理事国は決議案を否決。
中国はアルパ計画への拠出を免れ、要人の一部を別荘に招くという裏取引で、
我々には干渉しない約束を裏で取り付けていた。これを越えた後、アルパは本格始動した。
そして建造準備委員会の長を経て、国際コンソーシアム "ARPA" の初代総裁にフランソワが就任した時、
彼を知る多くの人は、計画実現の影で暗躍していた立役者の存在を知ったのだ』


●シーン1115年前・東南アジアのどこか
刑務所を脱走し、やり残した復讐を終えた青年。
さらなる殺害のためにで追われる身になっていて、逃げたり隠れたり。
ある時素性不明の男たちに囲まれ、周囲にかしずかれるようにしている男の前に連れて行かれる。
人払いをして、話し出す男。
「ご安心なさい。私は官憲の者ではありません」
青年「……何かご用かな?」
少し笑い出す男。
「わからないか、俺だよ。あんたを探してたんだ」
一緒に脱走した男だとわかり、少し警戒を解く青年。
青年「……随分羽振りが良くなったな。顔も変わったか?」
「あんたは相変わらずみたいだな」
青年「今はやりの "天命教" ってのは、お前がつくったのか?」
「"ミッション" って言ってくれ。建前は宗教団体じゃないんだがなあ。
日本人みたいな無神論者は世界じゃ少ないから、自己啓発セミナーに毛が生えたようなもんから始めた。
そこで資金を集めて投資して、財産を築いたよ。金にものを言わせて戸籍とかも買収した」
青年「結局大衆を籠絡するんだろう?」
「みんな理由に飢えてるんだ。俺はそこを突いて、相手が喜ぶ天命と理由を与えてるだけだ」
青年「理由?」
「世間には、自分を肯定する理由に飢えてる奴が山ほどいるんだ。
やることが何も見つからない奴、自分で何も決められない奴、居場所が欲しい奴……空っぽな奴ほどいい。
そういう奴に俺の欲求を、いかにも自分の使命、天命であるかのように吹き込む。それで安心するんだ。
あとは自分から喜んで、悪事でも狂事でもやりたがる。中身なんか関係ない。もともと自信がないから、
『自分は大きな使命を抱えている特別な人間だ』って顔ができれば充分なのさ」
青年「なるほどな。お前らしいよ」
「あんたはどうしてた? 今も追われてて、こそこそ生きてるのか?」
青年「……まあね」
「意外に不器用なんだな」
青年「とくにやりたいことがあるわけじゃないんでね」
「だけど、手が後ろに回りっぱなしってのは疲れるだろう?」
青年「……」
「俺とまた組まないか? 依頼を引き受けてくれれば、新しい人生を用意するよ」
青年「新しい人生?」
「国籍、経歴、パスポートとか色んな証明、ネットのID、お望みなら俺みたいに顔も指紋も変えてやる。
バイオメトリクスも、あんたを死んだことにして、いったん登録データを全部破棄させてやる。
目的に必要な教育も受けさせる。もちろん充分な報酬もだ。今の俺の財力と人脈ならたやすいよ」
青年「私じゃなくても、お前のシンパたちが何でもやってくれるだろう?」
「あいつらはだめだ」
青年「なんで?」
「俺の言葉を信じてるから」
青年「……ハハ」
「所詮騙されてるだけの思考停止した連中だからな。別の何かに感化されたら、すぐに憑き物が落ちる。
最後までやり遂げない奴が多い。それにさー、追いつめられるとすぐ自決しちゃうのよ。だから捨て駒にしか使えない。
あんたは何も信じてない。だから信用できる。何よりもさ、あんたと一緒だと楽しめそうだからだ」
青年「……」
「俺にはあんたのルールが、心理の幅がわかるんだ。
あんたは目標を設定して、詰将棋をするみたいに時間をかけて仕事を完成させるのが好きなんだ。
以前は家族の復讐をして捕まったらしいが、復讐を完成させるのを楽しんでた一面があったろう?」
青年「……」
「怒るなよ。でも俺は見立てに自信がある。
俺の教団の言葉を借りれば、あんたはミッションを遂行するのが好きなんだよ。ただし自分の選択したミッションに限る。
反面、あんたはフェアな人間だ。良くも悪くも借りは返すし、約束や義理は守る。その後は一切相手に関与しないけどな。
それがいいんだ。あんたをずっと縛れるとは思ってないから、終わったらお互い無関係。それが一番都合がいい」
青年「その後、お前の悪事を曝露するかも知れんぞ」
「そう。事を完成させる "後" になるまではあんたは約束を守る。
それでいいさ。何よりも、また一緒に楽しめそうだからな。俺……退屈なんだよ」
青年「……何をして欲しい?」
「俺の詐欺師人生で最大規模のゲームだよ」
部屋に軌道エレベーターの完成予想図を映し出す男。
「軌道エレベーター……知ってるか? 今度、モルディブにできるそうだ」
青年「ああ、聞いたことはある。宇宙に届く塔だとか……」
椅子から立ち上がって笑みを浮かべる男。
「……これが欲しい」
青年の顔のアップ。顔が変化し、そのまま年月が過ぎ、現在のラウール・ラフマン・シンになる。


●シーン125年前・モルディブ・ガン島特別行政区
アルパ地上局 "オルフェ" の前で、完成除幕式式が開かれる。
人工島から天に伸びる軌道エレベーター "アルパ" を背に、テープカットか何かセレモニーを行うベルナールや関係者ら。
招待客・関係者として拍手しているスコットやカーン。セレモニーで演説をするベルナール。
ベルナール「宇宙環境の持続可能な利用、宇宙開発における国際協力とさらなる発展、
デブリの根絶、深宇宙探査……人類社会の様々な利益のため、およそ15年の歳月をかけて、
軌道エレベーター・アルパの基礎構造が完成しました」
うんたらかんたらと演説が続く。ベルナールを見つめるスコット。
スコット(M)『どれもお題目だ。嘘ではないが、すべてはアロフォノの軌道をそらせ、危機を回避するためにある』
演説を続けるベルナール。居並ぶ「職員一同」の中にはケネス・マッコイやオットー・イワノフら主要登場人物が並ぶ。
そしてラフマンの姿。
スコット(M)『そしてアルパが運用を開始し、やがて軌道ステーションやオービタルリング上の観測施設と、
軌道計算に優れた大規模演算システム "ムーサ" が整うと、これまでとは比較にならない大規模な観測が可能になり、
静止軌道ステーション "アムピオン" の天測ブロック、通称 "アルパ天文台" の "台長" に私は就任した。
そこでアロフォノの軌道をより高精度に観測・算定を続けたが……』


●シーン13現在・軌道エレベーター "アルパ"・静止軌道ステーション"アムピオン"
保安課で仕事しているラフマン。傍らには広瀬あおいの姿も。
一方、冒頭と同じように、けれども複雑で大規模なデータの中で神妙な顔つきのスコット。
スコット(M)『……そひそかに願い、恐れてもいたことは現実にならなかった。
アロフォノが地球に衝突する確率の計算結果は、これまでより精度が上がったが、
ムーサの中で何千回演算しても、世界各国の機関に依頼した検証の結果でも、60%を下ることはなかった。
あれから3年。アルパ、というより我々はとうとう、本当の姿を世界に晒した。これから何が起きるのかわからない。
私たちは正しくても、間違っていても、世界から非難を浴び続けるだろう。それでもいい。 この世界が続いていくのであれば』
全部署にアナウンスがかかる。
アナウンス『全職員に通達。本日○○時をもって、"調律作戦"(オペレーション・アフィナシオン)を発動する』


第8章 了

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